人間関係で一番難しいのは熱量の一致。
共に生きるということは難解さ。
人間関係において熱量の一致が1番難しい。
僕はサブスタックに来て、初めてSNSをしっかりやった。記事を書き、交流を求め、繋がりを作った。
しかし、一方でモヤモヤした気持ちが生まれている。それはなにか?
熱量の一致の違和感だ。
実社会では、わりとこの熱量の一致が求められる。
しかし、SNSでは目的や背景が異なるのが当たり前で、個人で楽しむのが一般的なのかもしれない。一人では孤独なのに、繋がりを深めることにも違和感を感じる。
この矛盾を、自分なりに整理したくてこの記事を書いている。
人間関係において、コミュニケーション能力以上に難しい問題がこれだ。
熱量とは何か?
わかりやすくいうと思いの強さだ。
友達。恋愛。家庭。会社。
世の中に人と関わる上で、必ずといって登場してくる。
親友だと思ってた人がいきなり距離を置き出す。
誰よりも彼女を愛してると思っていたら重たいと言われ、別れを告げられる。
家庭を思いや理想を述べたら、そんなの求めてないと言われる。
目にかけていた部下が、ある日突然ついて行けないと言い放ち会社を去る。
友情や愛情、家族観、ビジネスマン像、会社への愛着、社会への思想。
いついかなる時もこの熱量の違いにより、熱量の高いものは悲しくなり、熱量の低い方は圧力を感じる。
コミュニケーションがうまく成立していても、この熱量の不一致が、対人関係、組織、社会への違和感になるのだ。
僕は学生時代、ずっと体育会に所属していた。
高校大学と日本一にもなっていたし。学生の日本代表にもなっている。
スポーツという分野で、部活のチーム単位くらいであれば、熱量の違いを感じることもあるが、日本代表レベルにもなれば、技術のみならず、マインド。つまり熱量の一致がされている前提でその場に集まる。
目的の一致、利害の一致、熱量の一致。その時に生まれる爆発的な組織力と熱狂は個人で得られる高揚感とは比べ物にならない。
そして、ここで築かれたものは青春、戦友、仲間という類のものとして僕の中で表現された。
その後、社会人になるわけだが、1番最初に生まれた違和感が就活だった。グループディスカッションでその場に居合わせた学生。面接ではうまく喋り、インテリを発揮する。面接が終わり少しの間会話をするわけだが、僕はいつもこの質問をしていた。
「なんでこの会社受けてるの?」と。
回答はだいたいこうだった。
「福利厚生が、安定が、年収が良くて。」
ここでいつも絶望する。学生だから社会も会社もビジネスもわからない。本音と建前は別だし、一生懸命会社を調べて、面接に備えてもいい。
ただ同じ立場で話す時くらい。夢や希望、目標を聞きたかった。
当時は何もわからないまま、モヤモヤを感じていたのだ。
リーマンショック2年後の就職氷河期。
就活難ではあったが、幸いなことに、コンサル、商社、テレビ局、メーカーなど大手企業から内定をもらえた。しかし、内定の数が増えるにつれて、僕の心は将来への希望ではなく、人生への絶望に変わった。
結果的に、僕は新卒でベンチャー企業へ、アルバイトとして入社した。
ベンチャーとは地獄だ。日曜に出社して、土曜に帰る。大学名も日本代表もビジネスの世界では無価値であり、とにかく頑張るしかなかった。正社員にもなり、成果も出し、最年少でマネージャーにもなった。でも、熱量はない。生きるか死ぬかの世界でベンチャーは売上至上主義になる。夢は語れど大義がない。労働の辛さよりも熱を感じられない辛さが僕を退職に追いやった。
そして、転職した先では中堅企業だった。
この頃には少し僕の心は死んでいたと思う。
自分の仕事を淡々とこなして、常に営業成績のトップであることだけを追求した。
昇格も昇級も興味がない。自分だけの領域で生きていた。唯一の心の救いは仲のいい同期がいた。本気かどうかわからないが、それなりのプライドと夢を持って業務に取り組んでいた。少し暑苦しいところもあったが、社内で人気のある彼。
そして、熱量に疲れを感じた僕。成果だけは出していたので、彼とは良く話はしていたけど、それ以上でもそれ以外でもなく、ただ熱量を維持している彼に、どこか懐かしさを感じ、傍観者として心の中で応援していた。
そして、僕にとって社会人生活でいちばんの事件が起きた。ある日彼が飛んだのだ。
連絡もつかない、安否も不明。人事が家まで行くと引っ越していた。あんなに輝いていた彼も同じ絶望を感じていたのだ。
そして、1週間もすると彼からFacebookで連絡が来た。一言。
「迷惑をかけてすまない」と。
会社を辞めることを責める気もない。問いただすつもりもない。
運良く連絡をもらえたから彼に直接会いに行った。
彼とは色々話したが、彼も周りとの熱量の差に病んでいた。一生懸命頑張れば、後ろ指さされ。笑顔で振る舞えば、共感してくれているものの、行動をしてくれない。戦ってくれない。
彼はいつも孤独を感じていた。
そして、同時に僕は自分に苛立ちを感じた。
熱を失い、傍観をし、見て見ぬ振りをしていた自分に。
それから、僕は彼のお陰で再起した。
熱量を持って何かを変えたいと思う人が、異物として扱われない場所をつくりたい。そのためには、自分が頑張るのではなく、仕組みのほうを変えなければいけないと思った。
マネージャーになり、部門長になり、部長になり、役員に成り上がった。最終的には社長をすることにもなったし、上場も経験した。
その過程で、熱量に共感できる仲間ができた。
その数わずか3人。
僕が管轄していた組織の総規模は950人。その中でたった3人だ。確率にすると、約0.3%である。
リアルな世界ですら0.3%。ならば、目的も背景も一致しないSNSで、熱量の一致と大義を持った人に出会える確率は、0.1%を下回るかもしれない。
そうして、現在の僕に至るのだから、サブスタックを通じて同じことが起きている。
SNSとは人と出会いやすく、多くを知れる。その一方で離れるという選択肢も自由だ。
人と記事で繋がれる。とても面白い。
しかし、それぞれの人生や目的は異なる。
それぞれの人生を歩むこと、自分のペースで進むこと。
とても大切で、尊いもの。
これを一致させようとすると、関係が崩れる。
一方、熱量がずれると、感性がずれる。
感性がずれると、共感がずれ、
共感がずれると、関係がずれる。
つまり、熱量の一致でしか、深くは繋がれない。
個人か繋がりか。
平穏か情熱か。
安定か挑戦か。
最大の矛盾であり、最大に難解。
仲良くなればなるほど、遠のく感覚。
個人を生きれば楽になり、そして再び繋がりを求める。
歩みを止めてしまえば、熱量を失い、諦めていた自分に戻ってしまう。
自分のためであり、誰かのためになれる。
そんな人間関係を、一つでも見つけたい。
最も強烈なエゴかもしれない。
重いかもしれない。でも、そういう人間であり、変えるつもりもない。
だから僕は、孤独でも探し続ける。本気で向き合える、たった一人を。
あなたには、そう思える相手がいますか。
リアルでもSNSでも、共に生きるということは容易くない。
人間関係で一番難しいのは熱量の一致だ。


めちゃくちゃ共感しました。
私においては男女間のパートナーシップだったんですが、自分が本気で愛を表現して受け止めて貰える相手をずっと探しているんだと思います。
熱量や人間関係って難しいですが、だからこそ面白いと思ってます😌
熱量の一致、という言葉がかなり刺さりました。
熱い人が悪いわけでも、距離を置く人が冷たいわけでもない。ただ温度計が違うだけなのに、そこで人間関係はずいぶん傷つきますね。
「本当に一緒に向き合える人」は、数ではなく確率の問題なのだと感じました。950人中3人という数字に、妙な生々しさがありました。
それでも探し続ける、という結論が、重いのに少しだけ明るかったです。