SNSを見ていると、いろんなものが評価されている。
売上。利益。フォロワー数。
わかりやすい。数字だから、比べられる。比べられるから、自慢になる。そして自慢は、人を魅了する。
僕もこの手の数字は嫌いじゃない。むしろ好きだ。
ただし。
評価していいものと、絶対に評価しちゃいけないものがある。
これをわからないってないと勝手に自滅する。
今日は、僕が絶対に評価しないものを3つ書く。
将来の可能性は、評価してはいけない
将来の可能性を測るために、マーケットのリサーチをする。市場調査をする。ロジカルシンキングを使う。
手段としては、非常に優れている。
でも、それが「成功するか」の根拠になるかというと、必ずしもそうじゃない。
成功者の自伝を読むと、だいたい書いてある。「成功するまでに数十回挑戦した」と。
しかし、本に書かれているのは、成功した1回の話だ。
僕がいつも見ているのは、そこじゃない。
失敗した、残りの数十回のほうである。
自伝で語られることはまずない。でも断言できることがひとつある。
その数十回、全部本気だったはずだ。
適当にやって失敗した回なんて、たぶん1回もない。全部、本気で成功すると思ってやっている。
そこを飛ばして「成功率の高い1回」だけ探そうとするから、おかしくなる。
僕は常に、5年単位で「こうなりたい」を決めている。
しかし、あまり口には出さない。
なぜかというと、今それをSNSに書いたら、確実に笑われるからだ。
後ろ指も刺されると思う。「何言ってんのこの人」で終わる。それくらい、到達不可能なレベルに設定している。
いや、意図的にそうしているのだ。
今の自分のステータスから逆算して、今までやってきたことから逆算して、そこに「現実的に」と抑制をかける。
その瞬間に、自分のポテンシャルを自分で狭める。
非現実的でバカみたいな夢を見ろ、という話じゃない。
そうじゃなくて、「成功率を高める」という正しそうな名目のもとに、可能性のほうを削ってはいけないということだ。
だから、将来の可能性は、評価してはいけない
成功率を上げにいったつもりが、可能性を削っている。
もったいないだろ。
人の優劣は、評価してはいけない
僕は仕事の都合で、人事評価や給与査定をやることが多い。
年収があって、等級があって、グレードがあって、人事制度がある。
そしていつも思う。この制度は「会社という枠の中で、その人を評価する」前提でしか作られていないと。
万能でもなんでもない。なのに、あまりに一般的になりすぎてる。
評価するという行為自体が、民主化されすぎている。
そしてそれは、自分にも他人にも向く。あの人はどうだ、この人はどうだ、と。
ここで僕が言っている「評価」は、「あの人は優秀だ」「いい知識を持っていて素晴らしい」みたいな話じゃない。
自分の物差しで、目の前の人に優劣をつけることだ。
これが行き過ぎると、リスペクトが消える。自分より劣っていると判断した相手に、傲慢な態度を取る人間ができあがる。
ただ、それは一番の問題じゃない。
本当の問題は、逆のケースである。
自分より優れている、と判定してしまった時だ。
人間、自分より優れた相手には萎縮する。緊張する。普通の感情だ。
そして厄介なことに、大人になるほど、理性が強いほど、常識をわきまえているほど、こう考える。
「この人の時間を取っちゃいけない」
「失礼なことを言っちゃいけない」
結果どうなるか。
聞くべきことを聞けない。教えを乞うべき場面で、配慮し、遠慮する。
そして、情報を得るチャンスも、挑戦するチャンスも、自分で捨てる。
ビジネスでも、スポーツでも、クリエイティブでも同じだ。相手を優勢と評価した瞬間、学びのチャンスも失い、本来出せるパフォーマンスすら出なくなる。
その人を知ることと、その人に優劣をつけることは、違う。
自分の感情は、評価してはいけない
目標を決めたら、次は実行のフェーズが必ず来る。
ビジネスでも、子育てでも、家族でも、友人関係でも、SNSでも同じだ。
行動を起こす。すると、勝手に感情が湧いてくる。
「これ、やる意味あるのか?」
「なんで私はこんなことに挑戦してるんだ?」
「今日、何もできなかった」
「周りは結果が出てるのに、私の一日はこれだけか」
この感情を、結果と比べたり、他人の挑戦と比べたりしてはいけない。
理由はシンプルだ。
結果や行動には、合理性と論理性がついてくる。でも感情には、合理性で片付けられないものがあるからだ。
わかりやすい例がある。
常に正論を言ってくるのに、人気のない上司。知的で、物事をよく知っていて、言ってることは全部正しいのに、話してるとつまらない人がいる。
そういうことである。正しいと好きは違うのだ。
周りにいっぱいいるでしょ?笑
合理的に行動して結果を出すことと、その最中の自分の感情は、イコールじゃない。
結果を見て、行動を見て、それでも虚しくなる。正しいのに苦しい、自分が嫌い。これは、多くの人が経験してると思う。
そして、問題はその先だ。
その感情を評価して、「こんなこと思う自分はダメだな」と自分を否定する。
これが起きると、努力してきたことも、あと少しで結果が出そうなことも、やめてしまう。
つまり、人が諦める時というのは。
行動そのものが嫌になったからでも、結果が出ないからでもない。
自分の感情に疲れてやめる。
人間の心は、素直だ。素直だから、否定されると正直に反応する。感情を否定した分だけ、「自分がやっていることの無意味さ」が膨らんでいく。
そりゃ苦しくなる。当たり前だ。
評価を、使わない場所を決める
世の中の人は、評価が好きだ。
特に定量的なもの。目の前で起きた事象。目に見えやすいもの。わかりやすいし、消化しやすい。
でも、いざ自分がやる側に回った時にどうなるか。
自分の感情を評価する。人に優劣をつける。そして、自分の将来の可能性まで評価して、狭める。
そして、全ての推進力を奪っていく。
評価は便利な道具である。それは間違いない。
ただし、評価を「使わない場所」を先に決めておくこと。
それだけで、心を維持したまま前に進める。
だから僕は、この3つを評価しない。
将来の可能性。人の優劣。そして、自分の感情。


>自分より優れている、と判定してしまった時だ。
確かに、某有名な漫画の名台詞でも「憧れは理解から最も遠い感情だよ」てのがありますしね。
相手の都合を考えるという行為(考え)自体は悪いことではないと思いますが、遠慮しちゃうと成長の機会を失ってしまいますね。
あと、逆に見上げられてる側のほうからしても、率直な意見を拾い上げづらくなるので損しちゃうし、お互いに勿体ないですよね。