今、この瞬間
今と繋がりを大切に思うようになったきっかけの話
僕は未来に夢を見るタイプだ。
自己実現もしたい。社会がこうなればいいと思う。こんな死に方をしたい、なんてことまで考える。理想を毎日アップデートしながら、生きている。
でも、それ以上に「今」という時を大切にしている。
これまでの記事を読んでくれた人は、薄々感じていると思う。
この人なんでこんなに熱量が高いんだ!と
知らない人はこう見るだろう。
胡散臭い偽善者が!と
どっちでもいい。
ただ僕は、今日という日を、後悔しないように生きたい。志高く。本気でそう思っている。
なぜそう思うのか。それを書きたいと思う。
妻は、二人いた
僕には妻がいる。ちなみに、僕にとっては二度目の結婚だ。
そう、今日は一度目の結婚の話だ。
そして、僕が今、人に向き合うことをしている、その根底の話だ。
2020年1月
当時、付き合っている彼女がいた。たぶん一年半くらい付き合っていた。
少し破天荒で、俗にいう柄の悪い女性に見えたと思う。仕事人間で、常識でガチガチに固まっていた当時の僕に、平気で笑顔でこう言ってくる。
「それ、楽しいの?」 「そんなに稼いでどうするの?」
少しおバカだけど、本質を突いてくる。そんな女性だった。
2020年2月
家の中で、トイレに向かう彼女。
しばらくすると、バタン!!と大きな音が聞こえた。
慌てて見に行くと、彼女が目の前でいきなり倒れたのだ。
意識はあるものの、青白い顔。すぐに病院へ向かった。救急の検査は異常なし。この日は一旦、家に帰ることになった。
数日後、検査結果が出たからと病院に呼ばれた。彼女は直感がいい。僕にも来てほしいと言われ、同席した。
問診室で、医師に告げられた。
神経内分泌癌です。
癌の中にも、様々な癌がある。この癌は進行スピードがとても早い。正しいデータは覚えていないが、統計的な一年後生存率は20%以下だったと思う。
残念ながら、この時にはもう、癌の大きさは4センチほどになっていた。
僕は、先にも後にも、人の話を聞いていて自分の意識を失いそうになったのは、この時だけだ。
そう、脳が現実を拒絶したのだ。
2020年3月
ここから、治療の生活が始まる。
神経内分泌癌はリンパをつたい、全身に転移すると手のつけようがない。だからすぐにオペを行った。
当時はコロナ真っ只中で、入院すると会えない。手術後もすぐには会えない。
世の中を最も憎んだのも、この時だろう。
手術は無事に完了した。
その後、放射線治療も開始した。痛みはないようだ。
しかし、通院と薬物治療の毎日。
そう、ただ健康を取り戻すためだけの日々だった。
2020年5月
放射線治療を継続的に行い、経過観察をみる。
完治の兆しは、見えない。
抗がん剤治療と最先端医療の組み合わせに挑んだ。ほぼ寝たきりの彼女。痩せ細っていく。
僕にできることは、何もなかった。
そして、進行も止められなかった。
2020年6月
医師と彼女と僕で話す。今後の治療について。
医師の見解は、治る保証はない。
治療を継続する判断も、中止する判断も、できないと言われた。
そう。今を生きるか、未来に賭けるか。
その選択を、決めなければならなかった。
もちろん、僕が決められるわけがない。
しかし、彼女は即答だった。
「治療をやめます。痛いのは嫌だから、緩和するだけの薬をください。そして、できるだけ今を、健康に生きられる方法を提案してください」と。
なんで私がという気持ちはあっただろう。
未来への絶望と、死への恐怖もあったと思う。
1%の可能性を追い求めることもできた。
しかし、彼女の選んだ答えは、今を生きるということだった。
2020年7月
彼女は自宅で過ごしている。
時々つらそうにしているものの、薬の効果もあり、痛みを緩和できているようだ。
コロナ禍であったが旅行の計画を立てた。
仕事人間の僕が、おそらく長期休暇を取ったのは、この時が初めてだった。
神奈川、静岡、千葉、群馬。関東周辺を、一週間半ほどかけて旅行した。
誰でも行くことができる、普通の旅行だ。
この時の彼女は、癌になっていることすら感じられないほど元気だった。
ただの旅行。
僕にとっては、一生忘れられない旅行だった。
2020年8月
旅行から戻ると、彼女の体調は一気に悪化した。
一日中寝ている。起きても辛そうだった。薬の量も増えている。
そして、8月末になる頃には、起きている時間はほとんどなかった。
8月30日
彼女と、30分くらい会話ができた。
しかし、この日は普通の会話ではない。対話ではなく、彼女が僕に語りかけた。
「もし私がいなくなったら、すぐに嫁をもらいなさい。そうしないとあなたは一生独身だから。でも、私を頭の隅に置いといて欲しい。」
「お金は大切だけど、私にとっては、今この一秒の方が価値がある。」
「しっかり人を愛し、誰かのために生きなさい。そして、誰かの記憶に残れる人になりなさい。」と。
そして、最後に一つだけわがままを聞いて欲しいといい、笑顔で僕にこう伝えた。
「結婚はしたかったなぁ〜」と。
8月31日
会話を終え、婚姻届にサインをし、翌日に書類を提出しに行った。
家に帰り、彼女にそのことを伝えた。
彼女は満面の笑みで、一言。
「最高の夫だ」
そう言って、眠りについた。
9月3日、11時
スーパーに行っていた僕が家に帰ると、彼女は寝ていた。
そして、少しずつ息が弱くなって、徐々に間隔が空いて、ゆっくりと息を引き取った。
最後の一呼吸を見られた。その瞬間手を握れていたこと。
その瞬間は、悲しみではなく、幸せな時だった。
そして、四日間の結婚は、幕を閉じた。
「お金は大切だけど、私にとっては、今この一秒の方が価値がある。」
「しっかり人を愛し、誰かのために生きなさい。そして、誰かの記憶に残れる人になりなさい。」
これが、今や繋がりを大切に思うようになった最大のきっかけであり、
そして、今の僕を作っている。


私も父を25の時に癌で亡くしました。
そして自分自身も23の時に癌を経験しました。
どちらの気持ちもわかる分、とても強く共感できる記事です。
しがないさんの誰かのために生きる理由が強くわかった気がします。
そんな方と一緒に何か大きなことをやっていきたいし、私たちもしがないさんのためになりたい。
繋がりを作ってくださってありがとうございます。
いつもさらけ出してほしいという言葉を発するしがないさん
ただ、この記事は、自身のことをさらけ出すだけじゃなくて、大切な人のこともさらけ出す文章
今まで出さずに、今なのも、いろんな葛藤があったのかもしれません
正直自分自身は、さらけ出ずのが苦手だし、
しがないさんがなんで周りにはここまでするんだろうと思ったりもしてて、
どちらかと言うとしがないさんの周りにいる人のなかでは「分かっていない」分類だと思っています
でも、この記事を読めてよかったし、
しがない自身がよく語ることの意味を本当の意味で感じれたように思います